『移動貧困社会からの脱却〜免許返納問題で生まれる新たなモビリティマーケット』(楠田悦子編著)を読む

2019年4月、東京・池袋で高齢運転者による死者2名を出した重大事故は全国に大きなインパクトを与え、まるで「全ての高齢者の運転は悪である」かのような風潮を作り出した。
そしてその後、世間にせっつかれるように高齢者の免許返納が加速した。
免許返納者は、現在は40万人程度だが、2027年には100万人に達し、その後も年々増加していくという。

本書P33より

しかし、ひとつ押さえておかなければならない事実は、交通事故自体は年々減少しており、高齢者の死亡事故も件数は増えていない。

本書P20より
本書P21より

そして、この高齢者の免許返納の大合唱の中で、私たちが見落としているのが、「人はなぜクルマを運転しているのか、運転をやめたらどうなるのか」という当たり前の視点である。この答えは簡単だ。現代人は、特に田舎の生活は、クルマを運転しなければ成り立たないからである。
にもかかわらず、免許返納を叫ぶだけで、その後の生活をどう維持していくのかという選択肢も受け皿もないし、議論すらも乏しい。
しかし、本書に書かれているように、高齢者の免許返納は「引きこもり」や「老い」を加速することにもつながるし、筑波大学の研究では、要介護認定のリスクは2倍にもなると言う。伊那市の元市議さんの「自由な足の確保こそ人生を全うするカギ」という言葉が説得力を持つ。

そもそも公共交通の充実した都会で暮らす人にはイメージがわかないかもしれないが、田舎での生活は完全にクルマ依存となっている。
国交省の調査では、地方では前期高齢者の70%、後期高齢者の56%が、生活の移動はクルマだということである。ちなみに鉄道は1.3〜1.7%、バスは1.9〜3.1%というのだから、いかにクルマに頼った生活かということがわかる。公共交通で移動する人は、田舎では今やほとんどいないのだ。
この数字は、5万人以上の市町を対象としているが、それ以下の小さな町村では、さらにクルマ依存は深まる。

では田舎で、クルマを運転しない人はどうしているのか。
同じ国交相の調査では、クルマを持たない高齢者の移動手段が、人にクルマで送迎してもらうこと・・・つまり「家族タクシー」に頼っている人の割合が、前期高齢者では26%、後期高齢者では32%とかなりの割合を占めている。
公共交通が貧弱化しているので仕方ないのだ。
日本全国のバスの路線は7割が赤字。2007年以降、1万3991キロの路線が廃止されていて、これは全路線の3.5%に当たる。


下記ブログより引用
http://akaden.blog86.fc2.com/blog-entry-268.htm


なので、度々(数日に一度とか)、別に住む子どもがやってきて、スーパーや病院や銀行まで送っていくという方法に頼らざるを得ないのである。

しかし、そんな「家族タクシー」の当事者たちは、必ずしも機嫌良くことを成しているのでもないことがわかっている。
これは私たちの移動スーパーのお客様探しの歩きの中でも実感していることと一致している。
すなわち、家族タクシーの被送迎者(おじいちゃんおばあちゃん)のうち51%、送迎者(運転者)の38%が何らかのストレスを感じているというのである。
中でも「時間の拘束」が最大のストレスとなっている。つまり、高齢者の側は、毎回頼むことに引け目を感じるし、送迎者の方も、平日は仕事でグッタリと疲れている上に、日曜日は毎週、親の送迎で半日が潰れるというような状況の中で、いつもいつも上機嫌というわけにもいかないのが現実なのだ。
また、送ってもらったら何らかの御礼(子の買い物分も支払いする等)をしている人も40%いることがわかっていて、これもストレスの原因となっている。
この状況は、引いては介護離職なども引き起こし、ただでさえ少なくなっている日本全体の生産人口の減少等、大きな社会問題へと繋がってくるのである。

本書では、こういう「移動貧困社会」への処方箋として、さまざまな試みやテクノロジーの進化が紹介されている。
まずは「自動運転」。
永平寺市などでは、ゴルフカートをベースとした自動運転車を、電磁誘導線の上を走らせるというサービスが実用化されている。
他にも各地で実験的な試みが始まっているが、未だ収支の持続可能性がともなう事業化への道は遠いようである。

永平寺の自動運転カート 路面に電磁誘導線が引かれている。
https://meti-journal.jp/p/6565/
経済産業省Webページより


本書の大部分を割いているのが、自転車やスローモビリティ(電動車イスなど)の積極的導入だ。これは道路や町づくりとセットで今後の都市政策の柱となっていく(しなければならない)だろう。
ただ、私の関心の中心である、田舎(中山間地・過疎地)の買い物難民対策としては今ひとつ明るいものとは言いにくい。
大きな国策としては、昨今、フィンランド発祥の「Maas(モビリティ・アズ・ア・サービス)」ということが言われている。
これは、鉄道、バス、タクシー、スローモビリティ、シェア自転車などの移動手段を「一つのプラットホーム」として、アプリなどを利用し、効率的なルートや一括決済などが可能となる新しい仕組みである。
他にも、ドローン宅配も徐々に実用化されてきているし、宅配ロボットなど最新の技術も着々と進んでいることが紹介されている。


Maas概念図
KDDI Webより引用
https://time-space.kddi.com/ict-keywords/20191025/2762

本書のもう一つの主眼はサブタイトルにもある「免許返納問題で生まれる新たなモビリティ・マーケット」である。
つまり、家族タクシーなど、移動貧困社会のソリューションに、2030年までに新たに「3兆円規模」のマーケットが、ブルーオーシャンとして生まれるというのだ。
確かに我々の「移動スーパーとくし丸」などはその最たるものだろう。
私はこのブルーオーシャンのブルーは「憂える社会問題」という意味で「ブルー(憂える)オーシャン」だと考えている。
願わくば、そこに参入するのは、儲けだけを追求するギラギラとした資本や企業でなく、社会貢献の志に燃えたソーシャルビジネスカンパニー(ピープル)であって欲しいと思う。(了)

移動スーパーとくし丸の師匠、鳥取県・安達商事に学ぶ

「とくし丸」を創業する前に、移動ス―パーのノウハウや実態を教えていただいたのが、鳥取県の大山の麓、日野町と江府町にある安達商事の安達享司社長です。

安達商事 安達享司社長

安達商事の経営するスーパー「あいきょう」では、一九九三年以来、二トン車や軽トラなど複数の移動スーパーでの販売を展開しています。
この「あいきょう」の巡回する地域も典型的な過疎の中山間地で、安達社長は二〇一一年時点で、すでに過疎による客数の減少を心配されていました。
そこで安達社長は、早くも行政との連携を実践し、その形は今でも進化し続けていて、今後の中山間地の買い物難民対策における公民連携のひとつの理想的なモデルを提示してくれています。

あいきょうの移動スーパー

私たちの移動スーパーとくし丸でも交わしていますが、安達商事ではすでに二〇〇八年の時点で鳥取県と「見守り協定」を締結し、移動販売中に高齢者を見守る活動を開始しています。
これが二〇一四年からは県と町からの委託事業となり、見守りの対象は、行政から委託を受けたお客さん以外の高齢者宅にも及んでいて、行政に対して定期的にフィードバックされています。看板だけでなく、業務として本当に意味のある見守りを行っているのです。
その公共性によって、販売車両は、農水省や鳥取県、日野町などの補助金を得て導入しています。さらに燃料や修理、車検費用など、車両の維持費に対しても二分の一の補助を受けています。

二〇一一年からは、「看護の宅配便」と称して、毎月一回、日野町に立地する広域自治体病院の看護師さんが移動販売に同行し、お客さんの玄関先で病院の窓口相談や健康相談を行っています。そこに管理栄養士さんも加わって、栄養指導などもされているそうです。健康不安や病気などについて、わざわざ病院まで出向かなくても、専門家に「ちょっと相談できる」ということは、大きな安心感につながっているのではないかと思います。

また、地元の図書館で運行する軽バンの「移動図書館」が移動スーパーに同行し、本やDVDの貸し出しを行っています。返却は、販売員に頼んで店に設置してあるポストに入れておけば回収してくれます。移動手段の無い過疎地の高齢者が、わざわざ町の図書館や本屋さんまで行くのはたいへんですが、こうして玄関先の買い物と一緒に気軽に本が借りられることで、生活にどれほどの潤いをもたらすでしょうか。
さらに、地元警察と協定を結んで、防犯や交通安全キャンペーンなど、高齢者の安心安全のための協力を惜しまない姿勢を貫いています。

今後、過疎地が直面する課題や、この安達商事の展開を見る時、それは決して「補助金に頼って商売を続ける」というような依存的なニュアンスではなく、存続の危機にある田舎を残すための、より合理的でかつ豊かなものをもたらしてくれる解決手段として、積極的に捉えなおされるべきものではないかと思うのです。

豪雪地帯を行く、あいきょうの移動スーパー

今年六八歳になる安達社長は、一八歳の時に鮮魚店を引き継がれて以降、半世紀にわたって、地域の買い物対策一筋に生きてこられました。今も現役で毎日早朝から車で一時間程の境港まで鮮魚を仕入れに通っているそうです。
安達社長は、口癖のように「これは相対(あいたい)の商いですから」と言います。相対だから信頼が生まれるし、コミュニケーションが楽しい、それが商売の原点だというのです。
インターネットなどでなく、人と人が向き合って商いをするというアナログの発想ですが、とくにこのウィズコロナの時代、人と人が生で出会う商いが、どれほど人の暮らしに役立ち、心を癒しているかと考えます。
人は人と会いたい(=相対)。直接会うことによって元気を練り上げていきます。それはこのデジタルやA Iの時代だからこそ、今後ますます求められる人間的な営みなのではないでしょうか。(了)

移動スーパーの感動の物語!『うちの父が運転をやめません』(垣谷美雨著)

拝啓 垣谷美雨先生

突然のお手紙、失礼いたします。
垣谷先生の新刊「うちの父が運転をやめません」を読ませていただきました。
拙著「買い物難民を救え!移動スーパーの挑戦」を参考にしていただいたということで、各所に思い当たるシーンが散見され、本当にうれしく、楽しく読ませていただきました。

先生の本の中でまず印象に残ったのは、田舎の食の豊かさです。
P 141にあるような、風景と食が密接につながっているのが田舎の豊かさなんですよね。そして風景と暮らし。満天の星や冷たい水道、ゆっくりできる縁側のある畳の部屋なんか、都会のストレスがスーッと抜けていく気がします。

それから、移動スーパーを頼む人の心境、リアルに再現していただきました。
P 151「買い物難民を見捨てる気ですか」の言葉ですが、実際にお断りする時には、それに近いものを聞くことがあります。頼む方の状況は、ほんと切実なんですよね。
それと移動スーパーが巻き起こす旋風。それまで死んだような凪の状態の田舎が、移動スーパーが回り始めることによって、なんか活性化してお年寄りたちがイキイキしはじめるんですよね。

移動スーパーの良いところと大変なところ、ほんとうまくストーリーにのせていただいて、大きな感謝を感じています。

この本のもう一つのテーマは、転職する人の不安や、家族関係の葛藤ですね。
私も今、54歳で雅志と同世代なので、我が事のように身に染みました。P 287のような、会社を思い返す雅志の心境にほとんどの人が共感を覚えるのではないでしょうか。そして地味に私が納得したのは「あの頃の大人は、誰一人として人生を楽しむことを教えてくれなかった」という言葉です。
私はもうこのセリフを広く世に出してほしいがために、この御本を映画化・ドラマ化してほしいぐらいですw
ほんともう「いい大学へ、いい会社へ、会社が嫌なら公務員へ」と、これだけの画一的な価値観一色でしたね。そしてそれがなんと驚くべきことに、今も全く変わっていない。
2〜3年で、技術も価値もシステムも激流のように変化する社会の中で、その凝り固まった価値観だけは全く変えないままなのですから、親も子も、まったくたまったものではありませんよね。
最近、引きこもりのことをよくN H Kなどで取り上げていますが、私は、いつも「親もかわいそうだな」と思ってしまいます。「働かざる者、食うべからず」とか、「もっと勉強していい大学へ行け」とか、私たちがシャワーのように浴びてきた価値観を子どもに押し付けたら、このタフな生産性砂漠のような社会の中で、引きこもるのも当たり前ですよね。だけどじゃあ親はどうしたらいいというのか。
その辺の葛藤が先生の御本の中にリアルに描かれていると感じました。

最後に、鶴子さんのエピソードには泣きました。
恥ずかしながら、私も鶴子さんと同じような事情にありますので。
参考文献に無いはずwの助手席予約って、何を言い出すのかと思ったら・・・
「明日の予約は、鶴子さんだ」
・・・やられました(泣)。

長文失礼いたしました。
先生におかれましては末長くお元気で、益々のご活躍を祈念しています。

敬具

村上稔

『うちの父が運転をやめません』垣谷美雨 著 角川書店https://www.kadokawa.co.jp/product/321811000204

                                                          

奄美大島・大棚商店 買い物難民対策で祈りの文化を残す

奄美大島の過疎地域、大和村。
いくつかの集落があってそのうちの一つ、大棚の集落にある共同売店「大棚商店」に行ってきました。
大和村全体で人口が1435人、100〜200人ずつの12の集落があります。
その中で、いくつかの売店があるのですが、食料品から日用品までなんでも揃う唯一のセンターが大棚商店。
共同売店というのは、沖縄や奄美大島にある100年以上も前からの伝統で、暮らしを守るために、地域の人が資金を出し合って作った店のことです。
この大棚商店をぜひ見てみたいと思って行ってきました。

奄美大島大和村・大棚集落にある共同売店の大棚商店
素朴な店内だが、なんでも揃う
大棚商店併設のガソリンスタンド

写真で見ていたらわかるようにガソリンスタンドと商店が一緒になっていて、店の中はほんと素朴な感じですが、なんでも揃います。
奥の方はいわゆるホームセンターになっていて、なんとセメントや材木まで揃うという、ほんとスーパーとホームセンターが一緒になったような地域になくてはならないお店なのです。

訪問時にはラッキーなことに、この大棚商店を立て直して地域のあらゆる活動の拠点にまで作り上げたリーダーの川下八重子さんと、そのお仲間、結の会のみなさんが打ち合わせをしていることろに出くわしました。

結の会・代表の川下八重子さん

結の会は、この大棚商店と近くの大和まほろば館を拠点にして、地域の高齢者たちの手を繋いで見守るというグループです。
私が行った時は、ちょうど毎週木曜日の100円惣菜の打ち合わせをしていました。
100円惣菜は、特に一人のお年寄りとか、作るのが大変な人に、安くおかずを食べてもらおうということで始めたのですが、毎週木曜日にこの大棚商店で、100円で美味しいおかずが買えるというので大人気。おかずの人気は油ゾーメンとかキビナゴの酢の物、それから豚足200円などです。
全部で270パック。20〜30品目、人気の豚足は25パック作ります。
これをメンバー6人で作ります。50代1人、60代1人、70代4人。

川下さんのお話によると、このおかずを買いに来ることで、お年寄りたちの見守りや安否確認になってるといいます。
来てないひとがいたら、電話をしたり声をかけたりします。
地域のお年寄りみんなが集まってくるので、お互いに情報交換の場になっているのです。また、店まで来られない人は家まで配達をして様子を見守る。週に1回なので割と頻繁に顔を合わせられるのです。

そして、この大棚商店のすぐ近くに診療所があって、そこが大和村唯一の医療機関。他の集落の人たちはマイクロバスで来るんですけども、診療所の先生に頼まれて、そこにも販売に行っています。周辺の集落には、食料品を買える店がないので、みんなすごく楽しみにして来るのです。

それと、ガソンリンスタンドも併設しています。
利益はゼロ、だけどなかったら地域の人が困るからと存続させています。
数年前にいっとき閉めたのですが、みんな困っていました。奄美といえども、1、2月とかはストーブで灯油がいるので、川下さんたちが、みんなの灯油を買いに隣町まで行っていたそうです。
そんなこんなでやはり村にガソリンスタンドがないと不便だということで、川下さんご自身が60歳を超えて、頑張って危険物の取り扱いの資格をとって、またガソリンスタンドを開業させました。
ガソンリンスタンドは一見無人なんですけども、インターフォンを押すと、店の人が走ってきて入れてくれる。それで利益は出ないけれども、なんとか存続はさせられているとのことです。

この大棚商店、今でこそ黒字でうまくいっているようですが、9年前には赤字で倒産しかけていました。
そこで、それまで役場で働いてた川下さんが乗り込んで、補助金に頼らずに徹底的に改善をはかって立ておなしたのです。
まず人員を減らして一人体制にし、最初は川下さんが無償でボランティアで毎日来て、品揃えから何から手を入れていき、見事に黒字転換させたとのことです。
そして今度は、結びの会を作リました。
この結びの会は、100円惣菜作るだけじゃなくて、定期的にカラオケ大会をしたり、村に生きる高齢者たちの拠り所になっています。

なぜそこまで頑張るのかと川下さんに聞いたら、パッと出てきたのが「気持ち作らんばならん」という言葉。
要するに、みんなが頑張って生きていくための気持ちを盛り上げていかないとダメだ、ということです。
「みんなの気持ちを作るためにやる」という、すごくシンプルで素朴な言葉なのですが、ぼくは電撃に打たれたような気がしました。
特にこのコロナの時代は、どんどん気持ちが落ちてくる気がします。
最近、引きこもりのことをよくテレビでやっていますが、要するに、生きていくという気持ちが、放っておいたら、どんどん奪われていくような社会です。
なので、前向きに生きていく気持ちを作るということは、本当に一番大切なんだと思います。

そういえば、この大和村は、女性シャーマンのノロ、という人たちがいて、海の向こうのネラヤカナヤに向かって祈りを捧げます。沖縄ではニライカナイと言いますが、奄美ではネラヤカナヤです。

「巡るぐるぐる大和村」大和村観光ガイドブック 発行 大和村より


このノロたちの祈りも、村のガイドブックの説明を読んだら、自分の個人的なことのために祈るのではなくて、村のため、共同体のために祈るといいます。
村全体が平和で繁栄しますようにと祈るのです。
自分のことだけを考えて奪い合うような競争じゃなくて、みんなで助け合う、お互いに見守りあう心、それが奄美の「結」の精神なのです。

そういえば、ぼくは奄美大島は3回目ですが、いつ来ても不思議なことが起きます。
行くところで、どんどん人を紹介してくれてつながっていくのです。
今回も、早速行きの飛行機から隣に座ったおばちゃんが、お酒買うんだったらここよ、とかここの海岸は全体見に行ったらいいよとか教えてくれました。
それからあるサーフショップにサーフィンレッスン申し込みの電話をかけたら、「自分は今千葉に来てるんで、他のサーフショップを紹介するから、かけてみて」と言って電話番号を教えてくれました。
何だか不思議な気持ちがしました。みんな一人でもと、お客さんを取り合うのが今の経済なのに、同じ業種で他の店にお客を紹介するってあり得ない。
でも考えてみたら、私たちの方が、いつの間にか奪い合いに慣れ切ってしまっているのですね。商売でお客さんを譲るなんてことがあるはずがないと思っている。
だけど奄美は違うのです。みんなで助け合って、支え合って、要するに仲間なんですね。
サッカーでボールをパスしあう感じ。得点するのは誰でもいい。そのうち自分にも回ってくる。みんなで譲り合い支え合って生きていくのが奄美流なのかもしれません。

奄美大島・あやまる岬より

そして戻ってから気づいたのですが、ノロの祈りの文化が残る大和村は、買い物と見守りを支えている大棚商店が無くなったら、高齢者はみんな、やがて街の施設に入ったり、都会の子どものところに行くしかありません。そうなれば確実にこの祈りの文化は途絶えてしまうのですね。
だけど私は、このノロの祈りの意味というのは、自然界から生きるための意味や力を頂くための、人間にとって根源的に一番大切なことなのではないかと思うのです。 そういう大切なものを、自分たちの「自治」で守っているのが、この奄美大島大和村の大棚商店なのだ、ということをしみじみと感じました。 [了]