奄美大島の過疎地域、大和村。
いくつかの集落があってそのうちの一つ、大棚の集落にある共同売店「大棚商店」に行ってきました。
大和村全体で人口が1435人、100〜200人ずつの12の集落があります。
その中で、いくつかの売店があるのですが、食料品から日用品までなんでも揃う唯一のセンターが大棚商店。
共同売店というのは、沖縄や奄美大島にある100年以上も前からの伝統で、暮らしを守るために、地域の人が資金を出し合って作った店のことです。
この大棚商店をぜひ見てみたいと思って行ってきました。
写真で見ていたらわかるようにガソリンスタンドと商店が一緒になっていて、店の中はほんと素朴な感じですが、なんでも揃います。
奥の方はいわゆるホームセンターになっていて、なんとセメントや材木まで揃うという、ほんとスーパーとホームセンターが一緒になったような地域になくてはならないお店なのです。
訪問時にはラッキーなことに、この大棚商店を立て直して地域のあらゆる活動の拠点にまで作り上げたリーダーの川下八重子さんと、そのお仲間、結の会のみなさんが打ち合わせをしていることろに出くわしました。
結の会は、この大棚商店と近くの大和まほろば館を拠点にして、地域の高齢者たちの手を繋いで見守るというグループです。
私が行った時は、ちょうど毎週木曜日の100円惣菜の打ち合わせをしていました。
100円惣菜は、特に一人のお年寄りとか、作るのが大変な人に、安くおかずを食べてもらおうということで始めたのですが、毎週木曜日にこの大棚商店で、100円で美味しいおかずが買えるというので大人気。おかずの人気は油ゾーメンとかキビナゴの酢の物、それから豚足200円などです。
全部で270パック。20〜30品目、人気の豚足は25パック作ります。
これをメンバー6人で作ります。50代1人、60代1人、70代4人。
川下さんのお話によると、このおかずを買いに来ることで、お年寄りたちの見守りや安否確認になってるといいます。
来てないひとがいたら、電話をしたり声をかけたりします。
地域のお年寄りみんなが集まってくるので、お互いに情報交換の場になっているのです。また、店まで来られない人は家まで配達をして様子を見守る。週に1回なので割と頻繁に顔を合わせられるのです。
そして、この大棚商店のすぐ近くに診療所があって、そこが大和村唯一の医療機関。他の集落の人たちはマイクロバスで来るんですけども、診療所の先生に頼まれて、そこにも販売に行っています。周辺の集落には、食料品を買える店がないので、みんなすごく楽しみにして来るのです。
それと、ガソンリンスタンドも併設しています。
利益はゼロ、だけどなかったら地域の人が困るからと存続させています。
数年前にいっとき閉めたのですが、みんな困っていました。奄美といえども、1、2月とかはストーブで灯油がいるので、川下さんたちが、みんなの灯油を買いに隣町まで行っていたそうです。
そんなこんなでやはり村にガソリンスタンドがないと不便だということで、川下さんご自身が60歳を超えて、頑張って危険物の取り扱いの資格をとって、またガソリンスタンドを開業させました。
ガソンリンスタンドは一見無人なんですけども、インターフォンを押すと、店の人が走ってきて入れてくれる。それで利益は出ないけれども、なんとか存続はさせられているとのことです。
この大棚商店、今でこそ黒字でうまくいっているようですが、9年前には赤字で倒産しかけていました。
そこで、それまで役場で働いてた川下さんが乗り込んで、補助金に頼らずに徹底的に改善をはかって立ておなしたのです。
まず人員を減らして一人体制にし、最初は川下さんが無償でボランティアで毎日来て、品揃えから何から手を入れていき、見事に黒字転換させたとのことです。
そして今度は、結びの会を作リました。
この結びの会は、100円惣菜作るだけじゃなくて、定期的にカラオケ大会をしたり、村に生きる高齢者たちの拠り所になっています。
なぜそこまで頑張るのかと川下さんに聞いたら、パッと出てきたのが「気持ち作らんばならん」という言葉。
要するに、みんなが頑張って生きていくための気持ちを盛り上げていかないとダメだ、ということです。
「みんなの気持ちを作るためにやる」という、すごくシンプルで素朴な言葉なのですが、ぼくは電撃に打たれたような気がしました。
特にこのコロナの時代は、どんどん気持ちが落ちてくる気がします。
最近、引きこもりのことをよくテレビでやっていますが、要するに、生きていくという気持ちが、放っておいたら、どんどん奪われていくような社会です。
なので、前向きに生きていく気持ちを作るということは、本当に一番大切なんだと思います。
そういえば、この大和村は、女性シャーマンのノロ、という人たちがいて、海の向こうのネラヤカナヤに向かって祈りを捧げます。沖縄ではニライカナイと言いますが、奄美ではネラヤカナヤです。
このノロたちの祈りも、村のガイドブックの説明を読んだら、自分の個人的なことのために祈るのではなくて、村のため、共同体のために祈るといいます。
村全体が平和で繁栄しますようにと祈るのです。
自分のことだけを考えて奪い合うような競争じゃなくて、みんなで助け合う、お互いに見守りあう心、それが奄美の「結」の精神なのです。
そういえば、ぼくは奄美大島は3回目ですが、いつ来ても不思議なことが起きます。
行くところで、どんどん人を紹介してくれてつながっていくのです。
今回も、早速行きの飛行機から隣に座ったおばちゃんが、お酒買うんだったらここよ、とかここの海岸は全体見に行ったらいいよとか教えてくれました。
それからあるサーフショップにサーフィンレッスン申し込みの電話をかけたら、「自分は今千葉に来てるんで、他のサーフショップを紹介するから、かけてみて」と言って電話番号を教えてくれました。
何だか不思議な気持ちがしました。みんな一人でもと、お客さんを取り合うのが今の経済なのに、同じ業種で他の店にお客を紹介するってあり得ない。
でも考えてみたら、私たちの方が、いつの間にか奪い合いに慣れ切ってしまっているのですね。商売でお客さんを譲るなんてことがあるはずがないと思っている。
だけど奄美は違うのです。みんなで助け合って、支え合って、要するに仲間なんですね。
サッカーでボールをパスしあう感じ。得点するのは誰でもいい。そのうち自分にも回ってくる。みんなで譲り合い支え合って生きていくのが奄美流なのかもしれません。
そして戻ってから気づいたのですが、ノロの祈りの文化が残る大和村は、買い物と見守りを支えている大棚商店が無くなったら、高齢者はみんな、やがて街の施設に入ったり、都会の子どものところに行くしかありません。そうなれば確実にこの祈りの文化は途絶えてしまうのですね。
だけど私は、このノロの祈りの意味というのは、自然界から生きるための意味や力を頂くための、人間にとって根源的に一番大切なことなのではないかと思うのです。 そういう大切なものを、自分たちの「自治」で守っているのが、この奄美大島大和村の大棚商店なのだ、ということをしみじみと感じました。 [了]